負けるもんか。

がんばっていれば、いつか報われる。持ち続ければ、夢はかなう。

そんなのは幻想だ。

たいてい、努力は報われない。
たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢はかなわない。

そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。

けれど、それがどうした?スタートはそこからだ。技術開発は失敗が99%。
新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。

さあ、きのうまでの自分を超えろ。きのうまでのHONDAを超えろ。
負けるもんか。

HONDA
The Power of Dreams


僕は本田宗一郎が好きです。本田宗一郎に関する本はたくさん読んだ。

本田宗一郎がいなくなった現在も、まだ今でもそこに本田宗一郎がいるかのごとく、今のホンダにも本田宗一郎の血が脈々と流れている会社なんだと感じることがある。
本田宗一郎に関連する本を読んでいると、必ず、そして非常に多くの「夢」という言葉が出てくる。そしていまのホンダを見ても、ものすごくたくさんの「夢」という言葉が出てくる。ホンダの作るものに未来を感じる事がある。

ホンダの広告を見る時はいつも「イメージアップが目的だからね。。。」と他の企業広告と同じように思う事はない。感動するし、かっこ良いと憧れる。ホンダの、ホンダの人の日常をCMにしただけなんじゃないかと思う。

どこかの会社をただかっこいいと憧れてるだけじゃだめな年齢になって来た。
それでもやっぱりホンダはかっこいい。

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新規事業を考えている際に感じた事

2月から3月初旬に掛けていつもより時間をとって特に集中して新規事業を考える機会があったのですがその時に感じたことを忘れないように。

僕はこの数年大げさな表現ではなく世界が少しづつですが明らかに変わってきていると感じることがあります。「明らかに」という言葉を使ったのはいろいろな分野においてアウトプットとして出てくるものが今までとは違うものであるという現実を目の当たりにして、且つそれを僕自身が深く考えることが多くなってきているからです。

僕はWeb業界で働いているので今回はインターネット業界、Webサービスに話題を絞って。

結論から言ってしまえば、2000年代に流行したサービスは2010年代には(変革を遂げなければ)廃れ、2010年代に世界から必要とされるサービスは今までとは違った概念のものになるだろうと思っています。今がまさにその潮目なんじゃないかと感じています。厳密に言えばその新しい概念を持つサービスは2000年代後半にはすでに仕込まれてローンチされているものもあり、もうすでに非常に多くのユーザーを抱えているサービスもあると思います。

僕自身もまだ整理しきれていないところが多いのですが、端的に言えば人のインターネットへの関わり方が変わってきている、つまり根本的なユーザーの欲求(もしかすると人間の本質)が大きく変化してきているということが一番大事なポイントなのですが、そうなると世界から必要とされるサービスというものも当然変わってくる。

僕はサービスを考える時(使うとき、見るとき、作るとき)にはユーザーのどんな根本的な欲求に答えるためのサービスなのかを明確にすることでそのサービスの本質部分を作ります。次にその本質部分をゴールとする入り口からのライン(サービスを作る上では時として無駄な機能が必要なことがあるけどもそういったものを除いたサービスのセンターライン、軸)をサービスとして描き、最後に全体としてのストーリを考えるようにしています。

ここで僕が今回の「新規事業を考える」という機会の中で自分自身に困惑したのは、今までのようにいろいろなものがすぐにぱっと出てこなくなってしまっているということ。厳密に言えばその本質部分がわかっていてもそれをサービスとして考える、ラインに落としこむ際に非常に時間がかかったり、ラインそのものがずれてしまうことが多かった。なんだかピンと来なかったりぼんやりとしてしまう。もう少し具体的に言うと、新しいサービスを見たり新規事業案を聞いたりした時にそれがイケてるかどうかを判断することは出来ても、今後自身でサービス案そのものを作ることに少し不安を覚えた。

何が求められているかということはわかっていても過去の経験が頭をよぎり、時にはよぎることもなく、思考が止まってしまっていると感じる場面があった。会議が終わって振り返った時に僕が感じたのは僕自身の2000年代の10年の経験が今後明らかに障害になってくるかもしれないということでした。

例えば以下のサービスなんかは2010年代のサービス(なぜかっていうのはもう書かないけど)だと思うんだけどこういうのがぱっと出てこない。

https://gumroad.com/

僕自身は30代の中盤に差し掛ろうとしています。いつまでも最前線でと頭では思っていましたがまさか自分がこのような状態に少しでも差し掛ろうとは全く予想もしていなかった。

世の常ですが、年老いた老兵が過去の経験を元にそぐわない判断ミスをしたり、過去の経験にすがりつく(これはつまり過去の経験からのみに裏付けされた、今後は必要とされないようなサービスをあたかも新しいサービスだと勘違いしてはじめてしまうということ。)、若い世代のやることを見て「分かってないな」と否定するというのはよくある話ですが、まさに自分がそうなってしまってないかと危機感を覚えました。(もちろん経験は大事だし、とどのつまり経験なんていらないから若いほうが絶対に有利という話を今回はしてるのではない。)

自分がまだ20代初期の頃、どうして30代以上のおじさんにインターネットみたいな新しい領域で良いサービスが作れるの?無理でしょ。と感じていた事を(もちろんその時はただの天狗)思い出しました。

今のままでは絶対にいけない。

どこで読んだか聞いたかは忘れたのですが、武道をやっている人が何かひとつの武道をやっと自分のものに出来たぐらいの頃に、その武道をより高めるために、その武道自体で修練を積むのではなく、他の武道(もしくは他流)から足りないものを補おうとすると(時にはそっちの方が良い事がある)、せっかく自分のものになりかけた武道の型が根本から崩れてしまい振り出しに戻ってしまうということがあるそうです。だけれども成長とはそこで踏ん張って一度自分のものにした型を壊し、新しいものを取り入れた形で再構築することで、自分の殻(器)をもう一周り大きくすることに繋がるという話を思い出しました。

世の中には生涯現役でいつの時代でも必要とされるサービスを生み出し続ける人がどの分野にもたくさんいらっしゃる。自分自身がそうなれるかどうかのタイミングだと感じています。

仕事をする上では役割分担があるので、事業に携わっていても事業そのものをそれほど理解する必要はなくマネージメントや数字など事業をする上で必要とされる他の部分についてだけをより磨き、何かに長けていれば主要なプレイヤーとして活躍することも可能だと思うのですが、僕自身はそうではなくて事業を作ることも出来る事業家でありたい。事業を見れる(運用する)だけの事業家ではなくサービスを生み出せる事業家でありたい。

若い世代と一緒に世界で必要とされるサービスを作るために。

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右と左の話

僕は比較的大きくなるまで右と左がわかりませんでした。左右が分からないということです。たぶん中学生ぐらいになるまで、すぐに右と左が分からなかったように記憶しています。今はもう分かるような書き方ですが実は今でも少し悩む時があります。例えば突然「右」に曲がれ!みたいに言われた時です。ただこれはゼロコンマ秒の世界だと思うので周りの人が、「あぁこいつは左右が分からないんだな」というレベルではないと思います。

日本だとお箸を持つ方が右で茶碗を持つ方が左なんだよと教えられる事が多いように思いますが、小さい頃の僕は左利きで少しづつ親が右利きに直してくれたということもあって、そのお箸を持つ方がどっちでという理由では左右を覚えることが出来なかった。どっちでも持てたので。

小学校一年生の時、教室の正面の黒板に「右」「左」という紙が貼ってありそれをずっと見てなんとか理解しようとしたのを憶えています。そのせいか当時から左右が分からなくなると教室を頭に浮かべて左右を判断することが多かった。窓のある方が左で、ドアのある方が右。これが僕の左右の覚え方でした。

当時から僕は左右が分からないことをもちろん恥ずかしく思ってました。人よりも頭が悪いからこんな簡単な事も理解出来ない。その結果なのかわかりませんが、屁理屈を言って自分を正当化しよとしていたのを憶えています。例えばある人にとって右という事象が必ずしも他の人にとっては右ということはなく、時には左である。つまり左右を正しく言うことは誰にも出来ない。そんな事を覚える事に意味はないみたいな事を言っていた気がする。

高校生ぐらいになり左右の区別がつくようになってからは特に意識することもなくなったように思います。

ただ最近になってやっぱり自分が左右を理解出来ていないのかもしれないと思う事があります。現在は英語かインドネシア語で仕事をしているのですが、同じように左右がすぐに出てこない。ライトとレフト(英語)、もしくはキリとカナン(インドネシア語)がすぐに出てこない。昔と同じように教室が頭に浮かび右か左かを貼ってある紙を思い出して理解してからそれをそれぞれの言葉で話しているように思います。ただ最近は英語でライトとレフトを言う場合は、昔野球をしていた事もあり自分がバッターボックスにたった情景を思い出してライトとレフトのポジションを見て左右を判断する事が多いです。

特に英語の場合に僕を混乱に陥れるのは音の響きです。僕から言わせればレフトという響きは右です。(ライトという響きが左ではない)理由はよく分かりませんがレフトとライトを比べるとレフトの方がメジャーに感じるし、右と左を比べると右の方がメジャーに感じるから音の響きだけで言えばレフトが右ということに僕の中でなっているのだと思います。

僕が左右をきちんと即座に理解出来る日は来るのでしょうか。

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Larry と Sergey に向けたブログ

ここ1,2週間ぐらいで google から大きなリリースが3つもあった。

1つ目は本丸のUIを変えた。
2つ目は検索アルゴリズムの変更。
3つ目は google+ はすごく使われてるし伸びてるよっていうリリース。

だけども少なくとも僕の使うソーシャルメディアのウォールではそれらに対する反応は少なかった。(メディア企業の人が多いからまだ2つ目はあったかな。)ブログもいろいろ探したけどあまり話題にしてる人も少なかった。

これみたら分かるけどあまりにもひどいだろ。(まぁ Facebook と比べてもないけど比べてみた。)

これが2年前ならこぞってみんな google への感想や考察を書き、ああでもないこうでもないって勝手に盛り上がってたんだろうなと思う。本丸のUIとかアルゴリズムってみんなの関心や興味のど真ん中だったし。

(少なくとも今よりは)たくさんの人が google を好きだったし Web の世界の興味や関心の中心は google にあったと思う。みんなの憧れる人気者だった。少なくとも僕は google が出すサービス、プレスリリース、時にはこっそり実装する検索アルゴリズムを心待ちにしてたし次は何をやらかして驚かしてくれんの?という気持ちでいっぱいだった。

まぁ僕の場合は今でもそうなんだけど。

今の google を見てると、当時検索分野で明らかに遅れをとっていた(検索が次のWebの中心だということに気づくのが遅すぎた)マイクロソフトのように見える。大きくなりすぎた体と相手が新興ベンチャーだからか、その一方でお金、人材、技術力では大きな力を持っていたことに慢心したのかそんなマイクロソフトの作る検索はなんていうか、やっぱり的外れというか。

もちろんマイクロソフトもその数年前までは人気者だった。みんな新しい Windows が出たらこぞって並んでたし、何が新しくなったかということに興味津々。

でも少しずつ誰もそんなことを気にしなくなった。

今でも Windows 使う人は多いけど別に好きで使ってるわけではないというか、こだわって Windows ですっていう人って少ないだろうし、なにが新しくなったとかそんなことに気を払う人って大きな企業にあるような情報システム部門の人間だけじゃないかと思うぐらい。互換性なくなると困るからね。プリンターいきなり使えませんとかって問い合わせが社内から殺到したらめんどいだけだし。

この1,2週間を見ていてなんか似てるなと思った。なんていうか誰にも気にしてもらえなくなるって寂しいよね。

誰にも気にしてもらえない、興味を持ってくれない、関心を持ってくれないものを作り続けるって酷だよね。でもシェアで言えばNo.1だしビジネスとしても馬鹿にならない売上で、実際まぁそれでも他の製品と比べれば一番良いし慣れてるからっていう理由でユーザーが使ってくれてるという状況だとサービスとしては開発を続けなければいけない。

繰り返しになるけど、だけども、ユーザーからすれば特に興味があって使ってるわけじゃないし、好きで使ってる場合じゃない場合、これ良いねとか、こうしたらもっといいのにみたいなフィードバックも少なくなってくる(と勝手に予想する)中で、実際に作ってる人のモチベーションってどうなんだろう。

そんな会社からまた Windows みたいなすごいサービスとか製品って出てくるのかな。。。(あ、ごめん。キネクトはすごいね!出てるね。)そんな状況の中で良いものづくりってそもそもできるんだろうか。

まぁ実際僕はそのシーンを見てないから知らないけど、例えば Windows7 が出た時って盛り上がったんだろうか。今回の Windows まじでスゲーみたいな感じで。なんかそんなことないような気がするけど。

まぁ知らないけど実際 Windows7 が発表される時にジョブズみたいな感じのプレゼンで、「One more Thing….」とか言われたら作ったエンジニアは「すみません。。。その機能そんな感じでアピールされたら逆に恥ずかしいんですけど。。。」みたいになりそうな気もするし。

絶対的なシェアはあるけど、人気というか興味関心を持ってもらえないサービスを作るっていうのは難しいんじゃないかと感じた。競合が出たらあっと言う間にいかれるんじゃないかって思う。今のアップルとマイクロソフトを差してるわけではないけど。

僕の個人的な性格から言えばだけども、一度関心がなくなると、またその対象に再び関心を向けるっていうのがなかなか出来ない。別に嫌いになるとかそういうわけではなくて、ただただ興味がないというか関心がなくなるというか。これは僕だけじゃなくて人間ってそんなもんだという気もするし。

そういえば、5年前、10年前とかに google はずっと今の(当時の)ようなサービスをガンガン出し続けることが出来るすばらしいベンチャー企業で在り続けることができるんだろうか。みたいな話をネタに盛り上がったのを思い出す。僕は google なら間違いなく大丈夫だって言ってた気がするけど、一方でいつかこんな日もくるんじゃないかとも思ってた。それは別に特段の理由があったからじゃなくてそういうのが世の中の真理じゃないかとも思ってたからだと思う。栄枯盛衰、ずっと良い状況にいれる会社なんてないだろうし。

これからもそういう意味では google は必ずWebを検索する時には使われるだろうとおもう。だけどそれだけじゃ物足りなくて、僕は google にはみんなの人気者で、興味と関心の中心にいる、もちろんユーザーが毎日使うようなサービスを生み出し続ける会社であって欲しい。まぁ便利だし、他に良い検索ないから使ってるんだよねっていうサービスを提供してる会社にはなって欲しくない。

2008年に googleplex であった googledance に行った時のことを思い出した。あの時、プレステのコントローラーで動く戦闘ロボみたいなのを(20%ルールで)作ってるグーグラーがいて、「これすごいっしょ?」って子供みたいに自慢されて、(検索と全然関係ないな。。。とか思いながらも)「いや、これまじですごいね。やらしてよ。」って興奮して楽しかったのを思い出した。

例えば今年に google dance を開催したら同じくらい楽しいんだろうか。
今でもgoogleのエンジニアは楽しくやってるんだろうか。

それで本題というか、つまり結論はなんだっていう話だけれども僕はまだ google はまだ間に合うと思ってる。多くの場合批判する奴、中傷する人間っていうのはどんなところにもある一定数いるものだけれども、僕の20代は google とあったといっても過言ではないし、それに今でも google 全社員で 「google 好きコンテスト」(それがなんなのかよく分からないしどんな種目があるのかしらないけど)が行われれば上位10%には入れる自信があるから、これぐらい書いてもいいだろうと思って書くんだけど、僕が思うに今の google は絶対にやっちゃいけないことを全力でやってる。まずこれを辞めること。それから自分たちが何屋なのかを思い出せ。やってはいけない事を辞めてやるべきことをきちんとやる。これに尽きる。

株式会社だから儲けないといけないのは十分わかってる。目の前にトレンドがあればきちんとそこを狙いにいかないといけないのもわかってる。だけれどもそこは google のやり方で波に乗ればいいだけの話。株主がガタガタ抜かすんだったら、こんなときこその黄金株の出番だろ。無視すれば良い。

まだ間に合う。正直言えば僕の人生から google がなくなると人生の楽しみがひとつ減るというのもあるし今まで集めてきた google グッズどうすんだっていうのもあるんだけど、まぁそうだとしても僕は google にはいつまでも google であって欲しいと思う。

『Google’s mission is to organize the world‘s information and make it universally accessible and useful.』

* google頑張れ!っていう内容にしたかったんだけど、読み返すとマイクロソフト批判みたいになってる。そこは「例え」なんで他意はないです。

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手段の目的化

手段の目的化 -

手段の目的化(しゅだんのもくてきか)とは、本来他の成果を得るための手段である行動について、その行動をとること自体を目的としてしまう社会行動のこと。

目的を達成するという観点からは、手段の目的化は目的を見失って堕落した結果であると批判する向きもあるが、文化の一翼を担っており一概に批判できない問題でもある。 - wikipedia

とはよく話題にされる事だけあって本当によくあること。

事業(業務)におけるゴールに向かうプロセスの中で技術や情報のインプットがまずは必要、重要という場合によく見かける気がする。インプット自体が目的になったり、そのインプットのアウトプット自体が目的になったり。そういう場合は大抵、インプットすることが楽しくなるまたはそのアウトプットの周りからの反応(仕事に活かすということではなく知識の共有というアウトプット)が気持ち良かったりなんかしてしまって、いわゆる「手段の目的化」という状態に陥る。

“気持ちの良い”アプトプットのためにインプットをするというサイクルに入ったらもう目も当てられない。

あとはネットワーキング、人脈作りという「手段」とかでもこの取り違えをよく見かける。

事実としての結果(数字とか)が出なかったときやうまくいかないなぁと感じる時には手段が目的化していないかを振り返る良い機会。「なんでこんなことやってるんだろう?」と日々自問自答することも重要。

そしてなにより。

きちんと大きな目標を決めて執念深く追いかけることが一番大事。これさえあれば極端な話、手段の目的化なんてことは起こらない。すぐに自分が遠まわりしていることに気づくだろうし、そういう現実にイライラするはず。手段の目的化が起こってしまうようなそんな目標にはなんの意味もない。

これは短いスパンで区切るゴールでも、長いスパンで区切るゴール(例えば人生)でも本質的には同じ。

日々変わらないどうしようも無い、だけれどもなぜか忙しく充実しているように錯覚してしまうような生活を送り続けると長いスパンのゴールそのものを見失う。

気を付けないといけない。

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