トヨタのブレーキ事故の公聴会を見て

米国で開かれたトヨタのブレーキ事故に伴う公聴会を見た。今回のトヨタのリコール問題の前後を詳しく知っていたわけではないのでその内容についてをああだこうだと僕には言えないのだけれどもその様子をぼぉーっとみていて思ったことがある。

最後、米国議員が公聴会についてどうだったかというインタビューを受けて「通訳を通じての質問会だったので質問に対する答えが明確でなかったのが心残りだ」と話していた。

おそらく通訳がどうとか言語の壁がどうとかという話ではない。ネイティブの英語でまたは日本語で統一された言語でその公聴会が開催されていたとしてもその差は埋まらなかったと思う。もちろん「まだまし」だったのかもしれないけど。

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どのような状況においても(特に何かマイナスの問題が発生しているときにその問題を是正・改善するために行う)質疑応答の場では「Q」に対する「A」を明確にするには双方にスキルが必要だと思う。いわゆる質問力とかそういったこと。

でも何よりも重要なのは双方がその問題をきちんと意識していることだと思う。その問題に対して真摯に誠実に取り組むという前提の上で成り立っている質疑応答の場であるかどうか。

往々にしてこういった場合、保身や問題の正当化、自己の正当化のためにまずは言い訳をするというのが世の常なんだろうけど、そんなくだらない事はどうでも良い。間違っていたのであれば正せば良い。(もちろん今回のような人の生死に関わる問題においても謝罪すれば良いといっているのではない。)事業戦略なんかの場合は結果が出るまでそれが正しい選択だったのかどうかなんて分からないこともあると思う。

問題が表面化した状態というのはその最終局面を迎えている状況だと思うのだけれども、尚、その期に及んで保身や正当化が垣間見える質疑応答は問題の本質を曇らせ、時に問題の先送りとなりいよいよ取り返しのつかない状況を迎えることもあるだろう。

特に答える人間がそれをやってしまった場合、いよいよその本質がどこにあるのか分からなくなってしまうし、本質がどこにあるのかを探す事から目を背けることに他ならずそこにはなんの成長もない。聞く側からすれば「あぁ。。。そんなこと聞いてないんだよな。どうでもいいんだよ。そこは。」という風にしか聞こえないし、誠実さも感じなくなってしまう。

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気をつけないといけないなぁ。と思った公聴会でした。

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